見えるなら「命懸けでも」と手術に賭けた患者さんとの出会い

2018.02.02

 研修医の頃、白内障のMさんの主治医になりました。慢性腎不全で週四日透析し、陳旧性心筋梗塞もある彼は、両眼とも光覚の状態で、かつ難聴でした。移動は車イス。いつも無表情で年齢よりも、かなり老けた印象でした。


 心筋梗塞は三枝病変で、すべて90%以上の狭窄のため、「手術施行に際して局麻下の手術でも命の保障はできない」と内科や麻酔科の先生方より忠告されました。命あっての眼なのだから、Mさんは手術をあきらめるだろうと思いました。しかしMさんは「死んでもいいから手術をしてくれ」と強く希望されました。


 とうとう手術当日-。私は「Mさんが死んだらどうしよう」と術中ハラハラしっぱなしでしたが、執刀医のI先生のほうが、よっぽどハラハラしていたのではと、今になって思います(I先生、ありがとうございました!!)。そして、Mさんのバイタルは安定したまま、何事もなく終えることができました(ホッ!!)


 翌日のMさんは別人でした。車イスは不要になり、なにより表情が違いました。生き生きしています。透析に行っても、皆が「別人かと思った」と驚くほどでした。


 この出来事を通して、「命を懸けても見えるようになりたい」という患者さんの熱意、そして見えることのすばらしさを改めて教えてもらいました。


 その後、Mさんのようなケースに出会うことはありません。ただ、例えば緑内障末期の患者さんで白内障が進行してきて、残存視野を失う可能性のある白内障手術を行うかどうか、という厳しい選択を強いられることもあります。選ぶのは患者さんですが、でき得る限りの説明を行うようにしています。


 今後も、現在の医院で、微力ながら患者さんに役立つ診療を続けていきたいです。